長崎ライトワークその1
隠れキリシタン・潜伏キリシタン編。
今回も深く濃いライトワークでした・・最近は地上も宇宙も地底も海底も・・と、多次元に渡ってのライトワークが多くなったので、なんだかとっても疲れるのです。
もう年なんですかね?認めたくないけど・・(^▽^;)
今回の長崎行きは、前回長崎に行った時に行ったライトワークの続きのワークでもありました。
隠れキリシタン・潜伏キリシタン関係の浄化と癒しのライトワークです。
どうしても歴史的に悲惨な出来事があった場所は、そこに住んでいた人たちや実際に出来事に巻き込まれてしまった人たちの念だけでなく、その場所に観光で行った人たちの思いが残ってしまうことがあり、その念や思いが土地にしみこみ、ある種の波動を創り上げるのです。
これは長崎だけでなく、どこの土地でもあることなのですが、その土地の波動が今、あちこちでひずみが出ているので、そこに引き寄せられる存在たちもいて、また、その存在たちも多次元に渡っていたりすると結構濃密なライトワークになってきます。
今回のライトワークは、隠れキリシタン・潜伏キリシタンだけでなく、島原の乱で亡くなった人たちの慰霊と、土地の浄化・海・火山・地底・地殻のワークが盛りだくさんでした。
その中で、あちこち教会に行ったのですが、残念ながら、コロナの関係で教会の外からのワークもありましたが、結構波動が良くてずっといられる・・みたいなところも多くありました。
どういうわけか、平戸の教会のマリア様たちはとても優しく穏やかな波動で、凄く凄く癒されました。
隠れキリシタン・潜伏キリシタンの違いってご存知ですか?
潜伏キリシタンとは、キリスト教禁教期の17世紀から19世紀の日本において、普通の生活をしながらもキリスト教を由来の信仰を続けようとしたキリシタンのことを潜伏キリシタンと呼ぶそうです。
このキリスト教由来というのは、禁教期ですから、あからさまにキリスト様マリア様‥と拝んだり、聖書を読んだりすることは出来ませんから、マリア様を観音様の代わりにして拝んだり、聖書や讃美歌は、その地域独特の節回しで歌われたりしたそうです。
そして、隠れキリシタンとは、キリスト教が解禁になっても、引き続き、潜伏キリシタン以来の信仰を続けた人々のことを隠れキリシタンと呼ぶそうです。
なぜ、人々は弾圧されながらもキリシタンとして生きようとしたのでしょうか?
時代背景的に、立場の弱い人間が虐げられていた時代ですから、何かにすがりたいという思いはあったと思います。ただすがるだけなら、弾圧されたら改宗すればいいのですが、弾圧にも負けずに、見つかったら、拷問・磔(はりつけ)など、自分だけではなく家族中がひどい目に合うのに。
弾圧・重税、当時は身分の差が激しかったから、武士と農民では天と地くらいの差があったのだと思うのです。
弾圧・重税だけでなくそこに飢饉が合わさって、理不尽な思いを抱えた農民たちの心には、怒りが積み重なって、島原・天草の乱につながっていきます。
総勢37,000人の農民が「天草太郎」が率いて原城に籠城します。
それに対して幕府は120,000人の兵を集め攻め入ります。
37,000人に対して120,000人もの武士たちが集まり、農民に対抗するって・・どんだけ幕府はキリシタンも農民も怖かったのでしょうか?
爆発的に増えたキリシタンは、幕府から見たら、怖い存在になったんでしょうね。
結局、天草太郎を始め一揆に参加した人は幕府軍に敗れ死を迎えます。
それは、原城の原型がわからなくなるくらい破壊して、農民たちもろとも埋め尽くします。
原城もろともですよ。女子供関係なく全員。
村全体でこの島原天草の乱に参加したところは、村がなくなったのです。
農民と幕府軍の両方が持つ「恐れ」と「怒り」。
恐れの感情も怒りの感情も人間を振り回します。
潜伏キリシタンと隠れキリシタンに関して、1回目の長崎では、ただただ、キリシタンと呼ばれた人たちがどれだけ真摯な態度でキリスト教と言う外国から来た宗教を信じ、そして、弾圧されながらも外国の神を捨てずにいたということに畏敬の念を持ちました。
しかし、理不尽な、不当ともいえる弾圧に対しての思い・・どちらかと言うと、被害者意識を強く感じたのですが、今回は、また違った観点でライトワークをすることができました。
潜伏キリシタン・隠れキリシタンは被害者ではなく、ただ、自分の信仰を強い意志で守り抜いただけでなく、未来に信仰を、信仰心という強い心を見せつけた存在だと思います。
島原の乱が起こってしまった理由として、飢饉と言う自然災害なのに不当にかけられる税、キリシタンへの弾圧が代表的な理由とされますが、私は自分たちの生活に見いだせない希望が、一番の理由なのではないかと思います。希望のない未来。
希望がない未来は、未来になりません。
だから、希望の光を見出すために、一揆が起こったのではないか?と思うのです。
結果は、言わずもがなですが・・
37,000人と言う人たちが一つになり、幕府に反旗を翻すことは、ただ反抗をするという簡単な理由でできるものではありません。
キリスト信仰をしたキリシタンの人たちは、信仰に希望と未来を抱いたのではないのでしょうか?
自分たちの信仰が、次の世代の人たちの希望となり、未来へと続くと信じたのだとしたら、それはものすごく尊い行為だと思います。
本当のところはわかりません。
少なくとも、島原・天草の乱で、天草四郎達が籠城した原城後に行ったときには、幕府の人間に殺されてしまったとか、キリシタン弾圧に関しての思いなどが残っている‥というより、未来に希望を見出そうとした人たちが、精一杯戦ったという・・重いけれども、何か吹っ切れた印象のエネルギーを感じました。
それでも、37,000人と言う人数が、その場で殺された場所ということで、かなりワークをさせて頂きました。
平戸から島原へ。
1つのライトワークが終わったな~と感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝を込めて
えり
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