魂が望むままに・・

昨日から、また鎌倉に来ています。
「家出」です。
嘘です。

ちょっと用があったのでしばらく滞在する予定です。
一生帰らないで、姉の扶養家族になってもいいかな。とか思っていますが、姉が迷惑だからやめてくれと言うので仕方ないから、扶養家族にはなりません。

この写真、すごい怖い写真ですよね。
これはお釈迦様が苦行・禁欲(断食)を行なった時の様子を像にしたものです。
写真で見るとこわ〜いと言う感じだけですが、この前に立つと、御釈迦様の壮絶な利他愛と、無条件の愛に打ちのめされます。
(こんな私でごめんなさい。もっともっと人の役に立てるように頑張ります)と、心でつぶやいたものの、誓ったわけではなく笑
私の決意なんてそんなもんよ。
と、超自虐的。

でも、この像の前に立つと、身震いが出るほどの凄まじいエネルギーを感じるので、激しいお釈迦様にお会いしたい方は、北鎌倉の建長寺へどうぞ。

御釈迦様にお参りしながら、反面なぜこんなにも自分のことを痛めつけたのか?と言う疑問と、人のために自分を極限まで追い込むと言うスーパーエゴの塊。とも感じました。

きっと、御釈迦様は、誰の為にとかではなく、魂の望むままに修行を続けたのだと。
誰かに認められる為にとか、だれかのためにとかではなく、魂がそれを望むから自分はその通りにやっただけなのではないか?と。

そう、私の家出も、魂が望むから!





















じゃないから!


魂が望むままに行動することが、自分らしくあることであるとともに、時に、その人のエゴにもみええ、でもそのエゴに見えるものが、社会の役に立つことになる。
要は、自分が何をどう捉えるか。そして、どうあるか?

エゴだよ!と言う人もいるだろうし
そうじゃない。と言う人もいる。

エゴが悪いと言うのではなく、自分らしくあることが、時にエゴに見えるのかもしれない。
エゴというと、自分らしくあるというより、わがままとか、自分勝手とかそういう風に捉えられるけど、そのエゴだという行為が人のためになったり、社会の役に立つのであれば、それはエゴではなくなるのでは?

何が正してくて、何が正しくないか。なんてわからない。
人の意見なんて水ものだしね。
そんなもんに左右されないで、自分の軸をしっかり持つことで自分自身が望んでいることのヒントが得られるのではないかなと思う。
だからいつでも、自分の魂が何を望んでいるか?にフォーカスして生きることが必要だと思う。



来週の月曜日くらいには仕方ないから帰るかな・・・笑


Have a nice day!
eri





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