浅草近辺ライトワークが意外に濃かった件



浅草雷門前で待ち合わせ。

東京ライトワークに一緒に行っているマホロンさんと。

ものすごい人・・人・・人。

外国の方も日本人も多くて、人力車のお兄さんはイケメンでした。


で、浅草寺。

超久しぶりぶりの参拝。

仲見世通りなんて歩けないから、一本ずれた道を行こうと思ったけど、

ここも結構混んでた。

浅草寺というか浅草は、やっぱりたくさんの人でごった返しているのが通常運転だからか、

活気が出ていて、重た~い!と言う感じではなくて、思ったよりも波動が良かった。

浅草在住のライトワーカーさん、頑張ってるな。って感じで(笑)


本当は花やしきあたりで遊ぼうと思ったんだけど、朝に、ふと浅草ランチとか調べてたら、

吉原神社って出てきて、見たら行きたいな~って思ったので、行ってきたんですけど、

まあ、呼ばれたよね。


吉原神社は、奥宮があるんだけど、吉原って言うくらいだから江戸時代とかは遊郭があった所。

そして、関東大震災の慰霊碑がドーンとあって、その上に観音様がいらっしゃる。

慰霊・・なんだ・・みたいな。

土地とこの土地にご縁があって住んでる方、吉原で働いていた方たち、関東大震災で

犠牲になってしまった方たちが心安らかにそして癒されるように祈ります。

と心の中で唱えたら、エネルギーがぶわっと、身体を駆け巡っていったような感じがして、

少しはお役に立てたんだな。とちょっと思いました。


吉原神社は、吉原神社は吉原にあった玄徳稲荷社と新吉原の四隅を守護していた榎本稲荷社などが合祀され、吉原遊郭の鎮守として創建されたそうです。

『吉原神社
吉原神社でお祀りしているのは、弁財天です。 吉原神社のご祭神は、稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と弁天様である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)で、開運、商売繁昌、技芸上達などのご神徳です。  

元和3(1617)年、徳川幕府の命によって、江戸市中各地に散在していた遊女屋は日本橋葦町あたりに廓として統合されました。これが「江戸元吉原」です。  

その後、明暦3(1655)年の大火のあと千束村に移転を命ぜられ、そこに新しく造られたのが「新吉原」ということになります。  

新吉原遊郭には古くから鎮座されていた玄徳(よしとく)稲荷社、それに廓内四隅の守護神である榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社が祀られておりました。  

この五社が明治5年に合祀されることになり「吉原神社」として創建されました。

吉原神社の歴史は新吉原遊郭のそれと折り重なり、廓の鎮守の神として古くから崇敬されてきました。  

五社のなかでも 九朗助稲荷社の創建は古く、和同4(711)年、白狐黒狐が天下るのを見た千葉九朗助という人の手で元吉原の地に勧請されたのがはじまりとされています。

そして廓の千束村への移転にともなって浅草新吉原の地にふたたび勧請されました。  

廓内の神のなかでも伝説や逸話に富み、遊女、遊客とからみ、開運、縁結び、商売繁昌のご利益のある神として華やかな信仰を集め、その様は江戸の小噺集などにもしばしば登場しています。 』
浅草名所七福神HPの吉原神社より抜粋しました)


吉原は有名な遊郭があった所ですよね。

華やかな夜の街の主人公だった薄幸の女性たちの歴史の街。

今は、普通の街になっているけど、ところどころに歴史の片鱗が見えます。


遊郭で働かざる得なかった女性たちを悲しかっただろう。苦しかっただろう・・かわいそう・・

と思うのはとても傲慢な気がしました。

それでも、遊郭で働いていたすべての人たちの魂の安寧を祈らざる得ませんでした。


意外と濃かった・・すっごい疲れて・・

アジフライ定食食べた(笑)


eri




↑申し込みまだ間に合います!