東京ライトワーク~なんで、赤穂浪士がでてくるの?
大石内蔵助。聞いたことある方いらっしゃると思います。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士のリーダーです。
なぜ、赤穂浪士?
東京ライトワークなのに・・って思うでしょ?
えりぴょんも思ったもん。
なんで?
でも、泉岳寺に行ってわかった・・・やられてた!なにに?
知らんがな!でもやられてたんだわ。
発端となるライトワークは昨年の両国から始まってましたよ。
両国にある回向院に行って、ライトワークしよう!ついでに江戸博物区間とかあちこち行って、
関東大震災や、東京大空襲で亡くなった方たちの慰霊も込めて‥なんて、結構重たいライトワークを
ツアーでやったんですよ。
その時の回向院の近くにあの、忠臣蔵ができた発端となった吉良上野介の東京の屋敷があるんです。
そこは、あの有名な赤穂浪士たちが1702年12月14日討ち入りした場所。
そこから、泉岳寺まで47人の義士たちは歩いて行ったのです。
その歩いたルートを見た時にびっくらぽん。
えりぴょんとその仲間たち(笑)が何にも気にしないで、あそこに行こう。ここに行こう。
あそこにおいしいレストランがあるらしい・・とか、ちょっとあそびがてらいきませんか?
なんて、本当に軽い気持ちで決めた場所たち。
その場所が、赤穂の義士たちが吉良上野介の首を掲げて泉岳寺まで3時間以上かけて歩いたルートを
約半年かけて回ったのでした。
そして、1月14日、芝大神宮から、増上寺・芝東照宮へ参拝に行って、最後に泉岳寺へ。
泉岳寺は、浅野内匠頭のお墓があり、その隣に赤穂の義士たちのお墓があります。
お参りをさせてもらって、無事終了。
泉岳寺に行くまでは雨が降っていたのに、泉岳寺でお墓参りをしている間に雨はやんで、
無事終了。
何が終了なのか?って感じですが、両国の吉良上野介の屋敷跡から、泉岳寺まで半年かけてライトワークしてたって笑える。
しかも、全然気が付かなかった。
でも、なんか、銀座のあたりを歩いていた時に凄く重たいね・・苦しいね・・なんて話したのを思い出して、調べてみたら、彼らが歩いていたところだった。
昔、年末の時代劇って言うと、忠臣蔵で、よく見てたな~
忠臣蔵とか、明治幕末の新選組とか、好きだな~
忠義を尽くすとか、溜まらなく、萌―(笑)
それでも・・・彼らは満足して死んでいったのだろうか?
仇を討つ以外の道はなかったのだろうか?
それとも、自分たちが尽くしてきたお殿様が理不尽な沙汰で切腹をさせられたことで、
忠義を尽くす相手がいなくなり、生きる望みとか希望とか、そういうものがなくなり、
生きる意味を、仇を討つということに見出すことにしたのだろうか?
もし、生きる意味・死ぬ意味を仇を討つということに見出して、それでも満足して死んでいったとしたら、それは目的を達成したということになるのかな?
切腹って痛いだろうな・・とか
一人一人のお墓にお線香をあげながら、そんなことを考えてました。
さて、ライトワークと言っても、浄化とか慰霊とかそういうものあれば、宇宙的な部分をやるものもあるし、えりぴょんのように「水」担当もいます。
水から出てくる、宇宙の存在たちをアセンションさせてあげる役目を担っているので、今回の東京ライトワークは、隅田川から豊洲の方の海沿いもやりました。
こういう、人のためのライトワークもあり、個人の過去世からの因縁の解消などもあります。
地球での転生が多い人は、過去世の清算もあるので、ちょっと大変‥ということも有りますが、どちらにしても最終的には喜びになります。
ライトワークは喜びなんですよ。
だから、やめられない・・止まらない・・(笑)
今回でひと段落ついた感じだけど、実はまだまだ、ライトワークは続きます。
2月に縁結びツアーやろかな・・。
eri
0コメント