許す事から、始まるのだ。
やってもやっても、終わらない、草むしり。
しかも、昨年肥料を撒いたところに生えている草は強靱・・ちょっとやったら疲れたわ~
まだ、あるので、今日もやります・・
少し雨とか降ってくれると良いんだけどな~抜きやすくなるんですよ。
でも、これからは一雨ごとに草が伸びる・・草との追いかけっこです。
と、どうでも良いえりぴょん家の草むしり事情でした。
さて、「呪い殺したいほど自分が嫌い」とわかったら、手放そう!と言うより、そうなんだ~と言う思いと、自分の事を、好きとか嫌いって捉えて事なかったな?と言う事がわかった。
自分の事を好きとか、嫌いとか、そう言う次元の問題じゃなくて、もっともっと深いところの思い。
過去世からの絡みや、今世の自分に対しての思い。
勇気がない自分。何も出来ない自分。信念を貫けない自分・・そう言う自分は弱っちい自分。
弱いのはダメだから、弱っちい自分を憎むくらいの否定的感情。
弱っちい自分を憎むことしかできなくて、そう言う自分を抹消したくて、呪い殺したいほどの思いになったんだと思う。
呪い殺したいほど自分が嫌い・・なのはなぜ?
自分の信念が貫けなかったから。
信念を貫けない自分は、抹消に値するくらい最悪な自分。
信念ってなんだろう?
自分が固く信じている正しい心。
じゃあ、正しい事って何?
正しいこと・正義・信念・・・
時代によって変わるよね・・
その時にはベストだったこと。
でも、その時にベストだったことができなかった自分だから、そこにこだわるのかな?
一番恐いと感じることは、自分の信念が、貫けなくて目標を達成できないこと。
そこに怖れがある自分に気が付いた。
どうして怖れがあるんだろ?何を怖れているんだろう?
怖れがあることは悪いことなのだろうか?
目標を達成できない自分はダメな自分・・出来損ないの自分なのだろうか?
怖れを抱いていてもいい。
目標を達成できなかったらまた目標に向かって歩き始めれば良い。
それが自分だから。
自分に意識を向けながら、宇宙から自分を俯瞰して見ると、
今の私は『完膚なきまでに完璧な自分』なのがわかる。
宇宙まで引いて自分を見てみないとわからないところがどうしようもないけど、そう言うどうしようもないところも私で、素晴らしい。
じゃあ、私は私のことが好き?と言うと、なんか、どうでもいい。
好きでも嫌いでもどっちでも良くて、どっちの思いもあって当たり前。
呪い殺したいほど自分が嫌いならそれでいい。
それも自分。
自分を許すとしますか。
こんな自分だけど、宇宙運行のスケジュールの中では必要な自分だから。
こんな自分だからこそかな?( ̄∇ ̄)( ̄∇ ̄)
今日のお昼は何にする?
eri
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