終活。
旦那さんのお顔もにっこり笑っているようでした。
もう、50代半ばになると、そろそろ自分の人生の終末をどうするかと考えてしまう。
まだまだ早いよ~という声も聞こえるけど、早いに越したことはない。
終活は早いに越したことな。
現実的には、財産のことや色々厚また物をどうするか?とか。
対した財産にはならないけど、売ればちょっとはお金になるかな?なんて。
色々片付けたり、ちゃんと遺言状を作ったり。
それなりに財産がある方は、財産をどういう風に分けるのか?誰が受け継ぐのか?
特別に渡したい人に渡るにはどうしたらいいのか?など、専門家の人にちゃんと
相談しないと、俗にいう遺産相続の争いが起こってしまう(笑)
それだけでなく、自分はどういうお葬式をして送り出してほしいのか?
葬儀屋や、お墓のことなども決めておくと、遺族の方たちは楽。
いくら、『死』が来ることがわかっていても、やっぱりその時になると遺族は
プチパニックになってしまうし、そういうところに付け込んで、高いお葬式代を請求すると事もあるから、決めておくと、そういうこともなくいいかも?
飛ぶ鳥跡を濁さず。
終活は、自分の人生の終焉まで自分でプロデュースする事。
それを、あとに残した人たちに、自分の人生は、こう言う人生でした。と、表現する最後の手段なのかも知れません。
さて、人は亡くなってから、24時間~48時間(人によって違うようです)はまだ魂と肉体が繋がっていると言われます。
その24時間~48時間の間に、魂はその人の人生をダウンロードして、魂に刻みます。
日本は、火葬をしますから、お通夜・告別式とあります。
故人を悼み、偲ぶ時間ですね。
今は、コロナのことも有り、お通夜・告別式を略す、お葬式のやり方もあるようです。
今日、友の旦那さんを送り出して来ました。
宗教的なことはなにもせず、生前仲の良かった人達が集まって、みんなで送り出しました。
人は、24時間経ったら、肉体から離れます。
友の旦那さんも、無事に離れ、仲間が奥さんのことを支えたり、犬たちが
エネルギー的にサポートしているのを見て、ニコニコしていました。
まだ、人間味がある感じです。
でも、自分が亡くなっていることはわかっているので、肉体に対しても執着していないので大丈夫でしょう。
前は、『死』というと、その人との別れと感じたのですが、魂で見ると、大きな流れの中のひとつの出来事のように感じます。
魂は生きているから、淋しくはないけど、それでもやっぱり、身体を触れることができない淋しさは否めません。
遺骨を家に持って帰り、そこで、故人を偲びながら思い出話をして、友の旦那さんとは一旦お別れ。
死を、身近に感じ、生きる事の尊さに感謝が出来た一日でした。
明日からはまた通常通り仕事に戻ります。
eri
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